歴史をたどる

玉座の向こう側

宮殿の門の奥には、中庭や庭園、限られた人だけが入れる部屋がありました。四つの宮殿を通して、権力が日々の暮らしをどう形づくったかをたどります。

01 · トルコ · 1478年

トプカプ宮殿

帝国議会(ディーワーン)の評議室の高い壁には格子で覆われた小窓がある。室内にいる者全員がその窓を見上げることはできるが、窓の向こうを見通すことはできない。この窓の背後には私的な回廊が続き、スルタンが誰にも知られず大宰相の審議を傍聴できる仕掛けになっていた。権力は「そこにある」必要はなく、「そこにあり得る」だけで十分だった。 メフメト2世は15世紀半ば、ボスポラス海峡と金角湾が交わる岬の頂に、一棟の宮殿ではなく四つの中庭が連なる複合施設を建設し、400年にわたって増改築が続けられた。

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02 · 中国 · 1420年

紫禁城

1933年の冬、日本軍の侵攻が北京に迫る中、故宮博物院の職員たちは歴代の宮廷宝物を疎開させるという大決断を下した。陶磁器や青銅器、名画を収めた1万3000箱以上の木箱が門を出て、荷車、列車、小舟、そして人夫の背に揺られて内陸奥地の山中へと運ばれた。15年間にわたり洞窟や寺院を転々としながらほぼ無傷で守り抜かれ、現在は北京と台北の二つの故宮博物院に分かれて所蔵されている。 紫禁城は15世紀初頭、明の第3代永楽帝によって造営された。その配置は厳格な南北中心軸に沿って門、広大な中庭、玉座の殿閣が一直線に並び、天上の北極星の地上における写し絵として設計された。

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03 · スペイン · 1238年ごろ

アルハンブラ宮殿

1812年、ナポレオン軍がグラナダから撤退する際、アルハンブラの城塔群に爆薬を敷き詰めた。幾つかの塔が実際に爆破された。語り継がれている逸話によれば、砦に取り残されていた足の不自由なスペイン兵が城壁を這って進み、残りの爆薬が炸裂する前に導火線を切断したという。真偽のほどはともかく、壮麗な宮殿群が瓦礫の山になる寸前であったこと、そしてその後荒廃し、17年後にはアメリカの作家が二束三文で部屋を借りられるほど放置されていたことは歴史的事実である。

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04 · インド · 1648年

レッド・フォート

1857年のインド大反乱鎮圧後、イギリス軍は城内の大理石宮殿や庭園の大半を取り壊し、軍用兵舎を建設した。現在、残存するパビリオンの間に広がる芝生広場は、かつて壮麗な宮殿群が立ち並んでいた空間の痕跡である。 ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンがアーグラからデリー(シャージャハーナーバード)へと遷都した際、1639〜1648年に築いた「赤い城(ラール・キラー)」は、巨大な赤砂岩の城壁に囲まれている。城内には一般謁見の間(ディーワーネ・アーム)や大理石造りの貴賓謁見の間(ディーワーネ・カース)が整えられた。

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