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物語
1593年の破壊の翌朝。日本の豊臣軍が朝鮮半島を進軍し、新羅の古都・慶州はその進路上にあった。一夜にして仏国寺(ブルグクサ)の木造の諸堂、極彩色の回廊、瓦屋根は業火に包まれ灰燼に帰した。煙の中に残されたのは、炎が決して焼き尽くせないものだけであった。空虚な中庭で対峙する2基の石塔、何もないテラスへと続く花崗岩の橋階段、そしてかつて堂宇が建っていた石造の基壇である。その後の400年間、仏国寺の歴史はこの石の骨格が再び木造の肉体をゆっくりと取り戻していく歩みそのものであった。
大臣と二代の父母
寺院の造営は751年、新羅の宰相・金大城(キム・デソン)によって始められた。『三国遺事』の伝承によれば、彼は現世の父母のために仏国寺を建て、前世の父母のために背後の山上に石窟庵(ソックラム)を造営したという。
「仏国土の寺」を意味するその名は、建築意匠に厳格に体現されている。下段の中庭から本堂へ登る参拝者は、青雲橋・白雲橋という2段の花崗岩の橋階段を渡ることで、俗世を離れて仏の清浄な世界へと足を踏み入れる。
中央の中庭には新羅美術の至宝である2基の石塔がそびえる。端正で簡素な美を持つ「釈迦塔(ソッカタップ)」と、木造建築の組物を見事に石彫へと昇華させた極めて華麗な「多宝塔(タボタップ)」である。
世界最古の木版印刷物
1966年、釈迦塔の第2層内部から小箱が発見され、その中から751年頃に木版印刷された『無垢浄光大陀羅尼経』の巻物が発見された。これは人類史上最古級の木版印刷物の一つであり、ヨーロッパで活版印刷が誕生する7世紀も前のことであった。
今日
1969年から1973年にかけて韓国政府によって諸堂が復元され、1995年に石窟庵とともにユネスコ世界遺産に登録された仏国寺は、今も新羅仏教文化の栄光を宿す不滅の聖地である。