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物語
1672年、ラホール城塞の西門に立てば、ムガル帝国最大の建設現場を見渡すことができた。何千人もの石工が赤砂岩を切り出して運び、木組みの足場の中で4基の巨大なミナレットが空へと伸び、中央では3基の白大理石ドームの型枠が組み上げられていた。皇帝アウラングゼーブはラホール総督であった乳兄弟のフィダーイー・ハーンに命じた。「帝国がかつて見たこともない最大のモスクを建てよ」。この巨大建築は1673年に完成した。
タージ・マハルを建てた父の息子
アウラングゼーブは、タージ・マハルを建立したシャー・ジャハーンの息子であった。父が大理石と華麗な象嵌細工、幾何学的な庭園を愛したのに対し、息子の気質は質実剛健であった。バードシャーヒー(皇帝のモスク)の魅力は、過剰な装飾ではなくその圧倒的なスケールにある。大中庭は一度に10万人もの礼拝者を収容でき、4基のミナレットはそれぞれ高さ約54メートルに達する。開堂当時、世界最大のモスクであり、その地位を300年以上にわたって維持し続けた。
厩舎としての50年間
1707年にアウラングゼーブが没すると帝国は衰退し、ラホールは支配者を次々と変えた。1799年にシク王国のランジート・シングが町を制圧すると、モスクの中庭は軍馬の厩舎となり、礼拝堂は火薬庫として使用された。1841年の権力闘争では、ミナレットの最上部に軽砲が引き上げられ、隣接する城塞への砲撃陣地として使われた。
1849年にパンジャーブを併合したイギリス軍も兵舎として利用したが、地元イスラム教徒の粘り強い返還運動により1852年に信仰の場として返還され、20世紀半ばに大規模な修復が行われた。
門前の詩人
正門のすぐ傍らには、パキスタン建国の精神的父と称えられる大詩人ムハンマド・イクバールの廟が佇んでいる。今日、皇帝のモスクを訪れる者は、まずこの詩人の墓の前を通ることになる。
1974年2月、ラホールで第2回イスラム諸国会議機構(OIC)首脳会議が開催され、世界数十カ国の首脳たちがこの大中庭で肩を並べて合同の金曜礼拝に臨んだ。
今日
バードシャーヒー・モスクはラホールの精神的象徴であり、イードの大祭には巨大な中庭が今も信徒で埋め尽くされる。1993年以来ユネスコ暫定リストに記載され、南アジアにおけるイスラム建築の至宝として輝き続けている。