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物語
1937年のイタリア占領下、軍の作業部隊がアクスムの遺跡から巨大な彫刻オベリスク(石柱)を1基引き抜き、3つに切断してトラックに積み、海路ローマへと送り出した。高さ24メートルの一塊の花崗岩で作られたその巨石は、約17世紀もの間その大地に立ち、あるいは横たわっていたものであった。石柱はイタリアの首都ローマのポルタ・カペーナ付近に再建され、その後約70年間にわたってそこに留まり続けた。
イタリアは1947年に返還に合意したが、何十年も実行されなかった。2002年にローマの石柱に落雷があり先端が損傷したことで返還論議が一気に加速。2005年に3つの破片に分けて航空輸送され、2008年にアクスムの地に再び立て直された。
建物であって建物ではないもの
人々がアクスムを訪れる最大の理由は、この林立するステッレ(石柱群)にある。数キロ離れた石切場から切り出された単一の花崗岩のモノリスであり、精緻に彫刻されて地下の王墓の上に直立させられた。表面に彫られているのは多層階の高層建築のファサードそのものである。窓の列、木の梁の端を模した丸い突起、そして最下部には蝶番と鍵まで彫られた「開かずの偽扉」が備わっている。彫刻として具現化された純粋な建築模型なのである。
最も巨大なオベリスクは一度も立つことができなかった。長さ30メートルを超え、数百トンの重量を誇るその巨石は、古代の建立作業中に落下して5つに折れたまま、今も同じ場所に横たわっている。
世界の四大帝国の一つ
アクスムは現在のエチオピア北部の高原地帯に君臨し、その力は紅海の交易港アドゥリスとアフリカ内陸キャラバンルートを結ぶ位置から生まれた。象牙、金、乳香、香料がローマやインドへと運ばれた。
3世紀、ペルシャの哲学者マニは「世界の四大王国」を挙げ、ローマ、ペルシャ、中国と並んでアクスムを同格に位置づけた。
アクスムは金貨、銀貨、青銅貨を独自に鋳造した。国際交易用の金貨にはギリシャ語が刻まれ、地元市場向けの青銅貨にはゲエズ語が刻まれた。
4世紀にエザナ王がキリスト教を受容すると、その宗教的転換は直ちに貨幣に反映された。王の頭上にあった三日月の意匠が消え、十字架が刻まれるようになった。これは世界で最も初期のキリスト教貨幣の一つである。
その後の歴史
改宗後、巨石オベリスクの建設は途絶え、王たちは教会を建設するようになった。7世紀以降、紅海の交易ルートが変化してもアクスムが放棄されることはなく、エチオピア正教会の最も神聖な中心地であり続けた。伝承では、シオンの聖マリア教会の隣の礼拝堂に「契約の箱(アーク)」が今も安置されていると信じられている。
1980年にユネスコ世界遺産に登録されたアクスムは、未発掘の広大な地下遺構とともに古代の威厳を今に伝えている。