62 · エジプト · 建造 紀元前1264年ごろ

アブ・シンベル神殿

一九六〇年代、水没を避けるため切り分けられ、丘の上へ移築された。

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物語

ギリシャ人傭兵たちが巨像の脚に名前を刻み込む様子

紀元前6世紀のある日、エジプト軍とともに南進していたギリシャ人とカリア人の傭兵部隊がアブ・シンベルに立ち寄り、巨大な座像の脚に落書きを刻み込んだ。彼らは古代ギリシャ語でナイル川をどこまで遡上したかを記し、指揮官の名と自分たちの名を書き残した。その銘文は現在も残っており、発見されている最古級の実質的なギリシャ語文献の一つとなっている。

興味深いのはその時間感覚である。これらの兵士たちでさえ、新築時の神殿を見るには約700年遅すぎた。彼らにとってアブ・シンベルは、現代の私たちと同じく、知られた世界の最果てに佇む古代の遺跡であった。

山そのものを彫り抜いたファラオ

大神殿と小神殿の双方は、紀元前13世紀半ばのラムセス2世の治世に砂岩の断崖を直接掘り抜いて造営された。大神殿は国家の3大神と、並外れた自負心をもってラムセス2世自身に捧げられている。正面ファサードには高さ約20メートルのファラオの座像4基がそびえ立つ。隣の小神殿は最愛の王妃ネフェルタリと女神ハトホルに捧げられた。

この小神殿は特筆すべき例外である。古代エジプト美術では王妃は通常、王の膝元に小さく添え物として描かれるのが常であった。しかしここでは、ネフェルタリの立像がファラオの像と全く同じ高さで堂々と並び立っている。3000年の時を超えて今なお鮮烈なメッセージを放つ破格の待遇であった。

立地も極めて戦略的であった。エジプト南端のヌビア国境に面し、ナイル川を北上するすべての者が最初にこの4つの威容に出くわす仕掛けであった。内部の壁面にはカデシュの戦いの壮大なレリーフが刻まれている。

2月の朝の陽光が一筋、最奥の至聖所に座す神像群に届く様子

年に2回、朝食の前に

大神殿の最も有名な奇跡は天文学的・工学的な計算の結晶である。年に2回、2月と10月に、昇る朝日が神殿の入口と完全に直列し、約60メートルの長さの暗い回廊を真っ直ぐ貫いて、最奥部の至聖所に座る4体の像を照らし出す。そのうち3体の像(神格化されたラムセス2世、太陽神ラー・ホルアクティ、アメン・ラー)が光に包まれる。そして冥界の神プタハの像だけが、光が届かない唯一の影の角に座し続けるのである。

山を切り刻む

1959年、アスワン・ハイ・ダムの建設によるナセル湖の水位上昇で、神殿全体が水没の危機に瀕した。エジプトとスーダンはユネスコに救援を要請し、約50カ国が史上最大の文化財救出活動に結集した。アブ・シンベルは岩の上に載った建物ではなく、山岩そのものを刳り貫いた空洞神殿であった。

鋸で切断された巨像の顔が、砂漠の上でクレーンに吊り下げられる様子

技術者たちが導き出した結論は、断崖全体を精密な手鋸でブロック状に切り分けることであった。1個あたり20トンを超える巨大ブロックは番号を振られ、クレーンで吊り上げられ、後方へ約200メートル、上方へ約65メートル運ばれた。新天地には巨大な鉄筋コンクリートのドームが構築され、人工の山が築かれた。1968年、1000個以上の石材ブロックが再構築され、移築が完了した。

かつての地震で崩落していた巨像の上半身の破片も、崩れたままの瓦礫として忠実に再現され、歴史の傷跡ごと保存された。

1979年にユネスコ世界遺産に登録されたアブ・シンベル神殿は、古代文明の偉容と現代の国際協力・エンジニアリングの勝利として今も威厳を保ち続けている。

所在地

Abu Simbel
エジプト

Abu Simbel, Aswan Governorate

22.3372, 31.6258